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発行/なとり義高と希望の星団 発行日 /2022 年 9 月1日 / 第64号
水ジャーナリストの橋本淳司さんは、著書「水辺のワンダー」で次のように語っています「。水問題という と、なんだか水に問題があるように思えますが、そうではありません。行きすぎた人間の活動が水に映ったも のが、水問題です。」その映ったものを自分のこととして感じ、動いているのか、自分の生き方を問われている のだと私には思えました。この本の中に、どこか懐かしいような切ないような心が騒ぐ一枚の写真がありま した。それは、日本最大の遊水地といわれる「渡良瀬遊水地」の壮大な野焼きの風景を撮ったものでした。面積 は、なんと、中央市の面積(31.69km²)より広い33km²あります。日本で初めての公害・足尾鉱毒事件が引き金とな り1905年、政府がその鉱毒を沈殿させるための遊水地をつくりました。これが渡良瀬遊水地の起源です。今で はラムサール条約登録湿地にもなっている多種多様な生命を育むゆりかごのような場になっていますが、多 くの犠牲を生み重い問題を抱えた渡良瀬遊水地の始まりでした。 一方で2019年の台風19号「令和元年東日本台風」の水害から首都圏を守ってくれたのも渡良瀬遊水地です が、このことはあまり知られていません。総貯水容量約1億7000万m³(東京ドーム140杯分)のうちこの時は、過 去最大となる約1億6000万m³まで貯めました。このおかげで利根川は決壊せず、首都圏に大きな被害が発生 しなかったのです。 私たちは、かつて渡り鳥の中継地であった臼井沼(ふるさと公園、釡無川・常永川合流地)で「川原の四季」と いう自然観察会を1999年より始め、これまでに93回開催してきました。その中で、先の野焼き(ヨシ焼き)は、 臼井沼と重なる心象風景になっています。この地を歩いていると、あちこちにその名残りが隠されています。 釡無川のヨシ原は護岸を強固なものにしていくにつれ消えていき、ヨシで子育てのための巣をつくるヨシキ
リやそれに托卵するカッコウもやって来なくなりました。もは や、私の住むリバーサイド周辺では初夏の風物詩であるカッコ ウの鳴き声も聞けなくなりました。私は、中央市がすっぽり 入ってしまう程の広大な渡良瀬遊水地をいつか訪れたいと思 います。遊水地の水面には、きっと翼をV字型にしたまま滑空す るチュウヒの姿が映り込んでいるでしょう。みなさんは、ヨシ 原が消えてしまった釡無川には、今、どんな空が映えていると 思いますか。