星団日記

中央市議会議員なとり義高です。

コロナで思う

 自然災害と同じように、今回のコロナという感染症も実は災害だったんだと思いました。ふたつの大地震、度重なる水害の際にも人々はすぐに動き、手を差しのべました。今回のコロナ災害は、地球規模でほぼ同時期に発生した得体の知れないものでした。多くの人はオンライン生活に活路を得たと報道されていますが、「広く、浅く、短く」という関わり方ができない私たちの活動は、真逆です。目の前の人だけを深くずっと一緒に寄り添いながら歩き続けていくことでしか支えられない取り組みだからです。この間、こどもサポートやまなしへの相談・面談は倍増しています。私がやるせないのは、コロナ関連死です。私の危惧は、町の住人に愛され細々でも店を開けて誇りを持って生きてきた人が、果たして「助けて」という言葉を言えるかということです。ささやかであったとしても自分自身で築いてきた幸せです。残りの人生を満足しながら静かに生きようとしていた人をくじいてしまったのです。戦時下でさえ経済は回っていたそうです。都市封鎖も強制もない「緊急事態宣言」という要請?命令?に私たちは忖度して一切の行動を自粛しました。それは、国がいつでも私たちを守ってくれると考えていたからです。その結果がでるのはこれからです。
それでも、こんな時だからこそと動き出した人たちがいます。私たちの活動を知って、開店して間もなく自分自身も大変なのに、みんながカンパしてくれたからとその資金で韓国料理店主が豪華な弁当を作ってくれました。子どもたちは無邪気に喜び、私に「今夜は家族でパーティだな」と思わせました。岐路に立たされた私たちは、あたたかくやさしい勇気と覚悟までを分けてもらいました。コロナで大切なものを簡単に捨てないでよかった。生きていかなければならない、やめられない活動があります。それを支えてくれる、そういう人たちがいてくれる。ありがたいの一言です。
「人に移してはいけない、迷惑をかけられない」という不安や自粛を小さいことでも「やる」に変えていくのです。これが力になり広がりになると実感しました。私も事業をやっていた当時、銀行の貸し渋りにあって資金繰りができず、人に迷惑はかけられないと自殺を考えた時がありました。「迷惑」を考えているうちはかえって人を巻きこみます。恐れず堂々と声をあげてください。あなたの人生はすでに賞賛されています。大切な時間をこれからもどうか生きてください。「いいことやってるじゃん」と同級生から初めてほめられ、お米を寄付してもらいました。こんな私にもいいことがあるのです。真剣にオモシロおかしく生きようではありませんか。