星団日記

中央市議会議員なとり義高です。

有機にこだわる

 柴咲コウさんが、種苗法が変えられることに物申すとSNSで発信したことがきっかけで、一般の人にも改定案の問題が知られるようになりました。彼女が有機農法でしっかり頑張っているのを数年前、私もテレビで見ました。私は、25年前から有機で野菜や米を作っていますが、初めはメダカや自然環境のためでした。今では、ちょっと違うなと思い始めています。そのような気待ちだけでは続かなかったと思います。なにより、自分が生きていることの力強さを感じさせてもらえるのです。猛暑日が続く中での田の草とりは、過酷というより命の危険さえ感じさせます。夕方にも畑の水やりにさんざん通いました。肉体的にシンドイなということは度々ありますが、黄昏れ時に見せてくれる夕日のダイナミックな色彩の移り変わりに心をときめかせます。稲の葉先の朝露が太陽の光を受けて輝く瞬間の美しさに、はっとさせられます。トウモロコシの天敵メイガ、出穂間近の稲の葉を食い荒らすセセリチョウの仲間、彼らと格闘しますが、なぜか農薬をまこうとは思いません。ひとつひとつ手でつぶし、一匹一匹ときちんと向き合います。害虫も益虫もただ自然のあり様を受け入れその瞬間を全力で生きているだけなのだと気づきました。命を絶つ感触が手にしっかりと残ります。そのうえでその命をもらった尊さを感じ学んできました。毎年、子どもたちと米作りしている中で私たちは必ずある言葉が書かれたパネルを見せます。そこには田んぼに棲むたくさんの生き物の絵が描かれています。「小さな命がたくさんあるから私たちがいる」春夏秋冬、空から舞う目で田んぼを見つめています。喰うくわれる、小さい大きい、強い弱い、たくさんの命のやりとりがあります。私たちの居場所もほんとうはずっとそこにあったはず、そんな気持ちを子どもたちに伝えたかったのだと思います。釜無川ぞいの畑で日照りが続く中、天に祈るような気持ちで雨を待ち焦がれ、雨のありがたさに感じ入りました。慈雨も豪雨もひとつらなりの水のかたち、命の姿に他なりません。私はこうして自然のことがひとつひとつわかっていくのがおもしろかったのです。有機農業がどう生きたらいいのかを教えてくれたのです。大切なことを誰かにゆだねてはいけない。自分の命を守ることを人に任せてはいけない。農作物を育てているのなら、命の根源である種を手放してはいけない、と私は彼らから教えてもらいました。種とりが禁止されたらまず、米が危ない。日本の食の安全を売り渡してはなりません。有機市場は世界で急速に拡大しています。若者の新規就農者のほとんどは有機栽培を目指しています。中央市が彼らを支援することで、中央市の未来は拓けるはずです。