星団日記

中央市議会議員なとり義高です。

『メガソーラー(大規模太陽光発電)の急増問題について』

2014年12月の議会で行った質問です。よろしければ、お読みください。

------------------------ 

質問1

『メガソーラー(大規模太陽光発電)の急増問題について』

  2012年に再生可能エネルギーの固定価格買取制度(FIT)が始まり、全国に太陽光発電の普及が急速に広まりました。九州では太陽光発電事業者の参入が相次ぎ、設備認定量や稼働中の設備量が全国で約25%と集中し、その影響で九州電力は、突然送電線への接続を今年9月下旬中断しました。九州電力など電力5社が、契約手続きの中断を決行した原因は、太陽光発電が増えると、電力のバランスが崩れることが大きな原因です。


 一方、山梨県内でもメガソーラーを含む10kw以上の事業者向け太陽光発電が急速に増え、送電線への接続制限や景観・防災上の影響を懸念する問題が発生しています。10月13日山梨日日新聞ではこの問題を大きく報道しています。「山林の麓に住宅地が広がる甲斐市菖蒲沢。メガソーラーの建設計画があり、東平地区の山林約29ヘクタールが伐採された。近隣3か所にも計画があり、住民から環境面や防災上の不安を訴える声がでている。・・・このほか、甲府市善光寺町の善光寺近くでは、太陽光発電施設設置計画に地元から『山門付近から太陽光パネルが視野に入る可能性がある』との指摘が上がり、県と市が対応を協議するなど各地で同様のケースが出ている。」と取り上げています。


 2014年5月から施行されている「農山漁村再生可能エネルギー法」は、農地法で農業利用しか認めていなかった「第一種農地」でも、農地として再生することが難しい荒廃農地と、今後耕作が見込めない耕作放棄地は、再エネ事業への転用を認めるなど農地の取り扱いを変えました。実に国土の12.1%となる456万haが対象となります。これは埼玉県の10倍の面積にあたります。原発再生可能エネルギーが無くても今、私たちはなに不自由なく快適に暮らしています。未来の子どもたちに手渡して行かなければならない中央市の大切な資源を壊してまで自然エネルギーを推進していく理由など全くありません。

 

  • 太陽光発電による大規模開発で懸念される景観、防災上の悪影響について県及び中央市の対策、設置規制について
  • 山梨県中央市の農地(第一種農地)林地における再エネ事業への転用面積とその割合について

 

 太陽光パネルは安全だという意識がありますが、消防活動中に感電する事故やシステム自体が火災となる事例が報告されています。また、海外や東日本大震災の時でも、太陽光発電システムが火災に見舞われた事例があります。急速に普及が進んだシステムの燃焼性状やその対策については、情報が少ないことから安全上の検討が必要とされています。日頃から消防活動に携わる人や市民に、太陽光発電の防災上のリスクを周知する必要があります。

  • 太陽光発電システムの火災について県内の事例
  • 装置自体の危険性の把握
  • 消防活動上の危険性や問題点

31球目も直球で勝負

「一つの制度や法律を作ったために、100人のボランティアを失うとすれば、私は100人のボランティアの側を選ぶ」ソーシャルワーカーの先駆けメアリー・リッチモンドの言葉です。

 中央市も多くのボランティアに支えられています。ボランティアのチカラは、地域のチカラであり世の中を変えていく力といって良いでしょう。そして、この言葉は、議員としての私のあり方を示唆する言葉だと思っています。良いことだけを並べた制度にも、問題点やリスクがあります。メリット、デメリットをきちっと伝えることで、当事者が選択しやすい環境を整える情報開示が必要なのは言うまでもありません。私は、選択の基準として「経済」か?「いのち」か?。どちらを優先するか?と自らに問います。優先するのは勿論「いのち」です。それは経済価値では測れないものであり、地方の活性化にとっては欠かせない自然環境、風景、伝統的な技術などの地域資源。そして善なる人です。命は、どんなに科学が進化しようと再生できません。失った命はもとに戻りません。命が吹き込まれ、脈々とつながれてきたものたちがグローバル経済によって根こそぎ破壊され、私たちは命の基盤を失いかけています。

 私たちが当選を果たした2011年の3月議会は未曽有の災害に始まりました。3月11日の東日本大震災そして福島原発事故。議会が閉会して駆けつけた3月27日、災害の地に立った時の光景と絶望はいまだ鮮明に記憶されています。あの時、みんなが生き方を問われたのです。天変地異を思わせる自然災害は今年になってからも続き豪雪、竜巻、土砂災害、大型台風、御嶽山の噴火、長野市北部の地震と次々に自然の脅威にさらされてきました。一方、生活困窮者、子どもの虐待、ひきこもり、認知症の人の徘徊など問題解決には地域で支え合うことの大切さを痛感した年でした。様々な制度ができていますが、そのはざまでこぼれ落ちたり、表面化しない見えない貧困など支援にはまだまだ問題が山積しています。

 私は、2期目の最後である今日まで私を支えてくれた1016人の力で活動を続けてこれました。1016人の2032本のボランティアの手に支えられ行動ができました。みんなのチカラが私のチカラになり、喜びと励みなってきました。今後も1人でも多くのボランティアを増やせるように活動していきたいと思います。「いつでも、どこでも、誰のためにでも」の想いで問題があれば、「共に考えます。即、行動します。みんなで輝く地域にします。」そんなまちを目指して今より3期、32回目の全力投球に向う覚悟と決断をしました。目指すは「輝く☆希望のまちへ」です。